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自分にとっての「書く」という行為について [考え方]


平日夜の更新は珍しいです。でもまぁ寝る前にゲームしてても何も生まれないので何か書いた方がまだましかなーと思い立ちパソコンを開きました。

かといって、こうしてブログを書いていることは、僕にとって生産的な行為とは多分言えないというのが今日のメインの主張です。先に結論ですが(笑)

最近はTwitterで色んなブロガーの記事を目にします。yahooニュースなんかもよく読みます。
読んでいる中で有名な方を挙げると、イケダハヤトさん、タクスズキさん、akkyさん、教育社会学者の内田良先生、あとは最近はご無沙汰ですが東京大学で人材育成とかマネジメントとか(表現が難しいです)をやってる中原准先生とかですね。あとは彼らのRTで回ってくるキングコング西野さんのブログをたまに。タイトル見て気を引いた奴は読むという感じで、通勤時間に読みます。

彼らはアフィリ記事を書いたりブログ記事を書いたりしてますが、彼らにとっては記事は商品と呼べるものであったり、あるいは資産に近いものなんだと思います。そして書くことはそれらを生み出す生産的な行為です。書いて作り出した記事は必要に応じて追記されたりリライトだったり削除されたりしますが、基本的にはデータとして存在し続け、サーバーが吹っ飛んだりウィルスに侵されない限りは恐らく永続的に利益創出に貢献してくれます。読者にとって役に立つものを書くことで、読む側にとっても生産的な時間を生んでいるし、記事に価値が生まれているとも言えると思います。

一方で僕がここに書いていることは、まず第一に読む価値がほとんど皆無です(笑)
書いている僕自身、ほとんど読み返さないです。内容としていつも僕が書いている「日常・人生の振り返り」とか「近況報告」とかは内容的にも、あるいはそのザックリまとめすぎた書き方という観点でも記事としての価値が高くないと「自負」しています。(その「自負」が間違っていたら面白いですが(笑))
僕自身、読者という対象をほとんど意識していない書き方をしています。こうして語尾が丁寧語であること以外は、自分の書きたいことを・書きたいタイミングで・フォントも何もSEOも一切気にせず・タグ付けさえも気まぐれに・書いてます。
何でだろうと思ったんですが、僕にとっての「書く」(=考えたことを文章にする)って、暇潰しでしかないんですよ(笑)
時間を消費するための1つの手段としてそれを選んでるにすぎないという立場を取っているのが僕です。

こうして書いているこの記事さえ、22:00~から寝ようと思えるまでの微妙な時間を、PS4を触るよりは有意義と個人的には思えるやり方として利用しているに過ぎません。考えたことがこうして情報として残るという効果は、あくまで二次的なものであって、そもそも今日の簿記の勉強をもう少し長くやっていたらこの記事は間違いなく存在しません。10分弱の帰り道で思ったことを、「そうだ暇だから暇潰しにブログにでも書きつけてやるか」といった具合です。

大学時代にはレポートや卒業論文をまあそこそこ書きましたが、レポートはどうだったんだろうと思いを馳せてみました。でもレポートが、ブロガーの皆さんのやっているような生産的行為だったかというとやはりこれも違うと思いました。まあ今の自分のスタンスとも違いますが。

レポートは、それまで自分が考えてきたことを練り上げて、文章という形にするという意味では、多少創造的ではあったものの、やっぱり作ったら終わりでした。書いた僕が内容を忘れていてもほとんど読み返しません。学期が終わってしまうと、読み返して手に入る情報がもう役に立たないのですw

僕はそこで自分の考えを言うなれば「消費」して、対価として単位を得ていたんだと思います。そして、単純に自分の頭の中をさらけ出していたという点では、今書いているこうした僕のブログも、レポートも、卒業論文さえも同じです。ブログは数分の考え・レポートは数週間の思考・卒論は約1年の思索だったという時間の違いがそこに存在するだけです。

レポートのおかげで単位を得ているという意味では、レポートは会計学で言う資産性(間違ってたらすみませんw)のようなものを得ている気がしますが、1回で終わりだからちょっと違うかなって思います。もしも、毎年使いまわされるレポートの元ネタを自分が書けば、それはこの文脈で言うところの「資産」として近い存在になるかなと思います。

と、ここまでの文章は、書き進める中で少し前の文章に加筆修正を加えたり、軽い形式段落に分けたりして作っています。それは半分読者に対しての読みやすさを意識してるかもしれないし、でもやっぱり半分は自分の考察を整理・深化させるためにやってます。どこまでも自己満足が付きまというのが僕にとっての「書く」という行為です。頑張っても読者への志向性が10%入ればいい方です。
有名ブロガーの皆さんはその志向性が自分よりはるかに高いんだろう、というのが現状の勝手な解釈になります。

その志向性ってどこから湧いてくるんですかね?大量の記事を作る創造性と、タイトル付け・SEO対策・ライティングスキルとあらゆる箇所で読者を意識して利益創出に結びつける生産性はエネルギーみたいなものだと勝手に思っているんですが、どうやって湧いてくるんでしょうか?
愛?リア充度の高さ?お人好しな性格?社会に貢献したいという熱い思い?

まあそういったマインドみたいなものだとすると、僕にはそういうのがありません。熱意・社会への希望・知識共有の喜び・向上心(・彼女・ルックス・身長・・・)どれもありませんね(笑)

マインドセットはとても重要だというのはネットビジネスについて色々調べてた時に、胡散臭い集団からも、本物の人からも両方から言われました。真実だと思います。胡散臭い団体に数万円払って、確かに頑張れば稼げる商材や団体だと分かっても、僕自身が勝手にやめちゃってチャンスを逃すなんてことをすでに何度かやっている僕にとって、マインドというのは永遠に解決されず立ちはだかる最初にして最強の壁です。ひとえに僕が自分の人生諦めちゃってるからですねw

「絶対に~してやる!」みたいなものの強いバージョンを無くしてしまってから早数年、という感じです。東大合格が最後、といってもいいかもしれません。

弱いものであれば、卒論を書き上げるとか、統計検定に受かるとか、そういうものに対して「意志力」とか「grit」みたいなものを多少は発揮していると思いますが、勉強関係のものばっかりだし、自分のプライベートに関してはすっかりそういうものを捨ててしまっていますね。捨てることを積極的に選び、リスクとコストとリターンをすべて徹底的に低く抑えてきました(笑)

熱いマインドをどうしても取り戻したい、とまでは思っていませんが(それは贅沢というものだと思って諦めてます)、ブログだったりアフィリエイトというものを収入の選択肢にしておくのはリスクヘッジの観点からすれば魅力的で、可能なら身につけたいと思う中で、そのためにマインドの問題を何とかしないといけないのならどう向き合わないといけないのかということは、不定期ではあるものの時折自分の脳内に去来するクイズです。意識高めに言えば、issueなのです。

まあこんなに長い記事を書いちゃってここまで読む人がいるかわからないですが、まあ締めとしては、今の自分にとっての「書く」という行為はマジでしょうもないものだけど、もう少しましなものになったりするか、収益が得られるようなものになったらいいよねって話でした。

バズってるブロガーの皆さんは本当にすごいと思います。炎上するようなこと言ってたり、「えっ以外に資産運用うまくいってなくねw」って思って自分でそういうtweetしちゃってても、やっぱり心の奥底では、そういう多くの人に読まれる記事を書くことができ、そしてそこに至るまでの努力を積み重ねてきた彼らに尊敬の念を持たざるを得ないです。対極にいる人達ですからね。自分が嫌いな僕にとっては畏敬の対称なわけです。僕がブログの元ネタを考える時間は数分です。タイピングしながら次を考えてはいますが、タイトルもSEOもまるで考えてない上にめんどくさがって知識すらも身につけようとしません。あと書いている記事の質も、投稿した記事の数も全然違うし。たとえ好きなトピックで書いていいよと言われても、無理です。無理とか言っちゃってるから無理なんでしょうけど(笑)

とまぁ適当に賞賛と嫉妬を混ぜた逃げ口上を書いて今日はおしまい。大体1時間半かけてます。スピードも追いつかないですねww それではーノシ
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