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人生を振り返る③ 小学生くらいの時⑵ [昔の話]

よし、続きを書きましょう。今はこれが唯一のライフワークです。
生きた証を残して、また1つ俺の未練を断つ。


方針を変えて、小出しにすることにします。何となくそっちのほうがいいかなと思ったので(笑)



・弟が抱く劣等感の話

 昨日は小学生の頃のプライベートの話を書きましたね。習い事でプライベートなんてほぼ埋まってましたよ。後はゲームくらいです(笑)


 姉の話をしましょう。3つ年上です。習い事に関していえば、姉はピアノにバレエをやってました。芸術系といえばいいのかな・・・。姉は当時から明らかに優秀で、学業面で(ゲームとか他の面でも)僕は姉に対して長い間コンプレックスを抱き続けていましたね。
 比較されるんですよ。結構色んな場面で、色んな人から比較されました。そうすると僕自身が勝手に自分で比較を始めます。小学校も中学校も同じように上がっていきますから、評価軸は割と固まっていたように思うし、3つ姉は当然ながら常に自分より先にいるので、3年後の自分が3年前の姉を正確に振り返るという形での比較をしない限り、僕に勝機はありません。それでも負ける可能性があるのに(笑)それが分からなかった僕は、東大合格という、非常に分かりやすい転機が訪れるまで、英語に関しては今もですが、姉に対して学業面で劣等感を持ち続けることになります。



 さ、今日の話はこの辺にして、次こそは小学校6年間とその6年間を共に過ごした幼馴染たちの話をしましょう。自分の人生を振り返るって思ったより大変なんだなぁ・・・
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人生を振り返る② 小学生くらいの時⑴ [昔の話]

はいどうも、続きを書いていきましょう。


・通っていた小学校の話

通っていた小学校と実家は神奈川の田舎にあるわけですが、非常に少人数でした。
全校生徒が40人くらい(1クラスかよ)、僕の学年は入学当初11人(のちに2人転校)でした。

とにかく狭く、小さいコミュニティだったんですね。これが僕の社会性を作っていく最初の空間だったわけです。
1クラスたった11人に対して先生が1人で面倒を見ます。つねに少人数授業です。教育の質は十分に確保されていたといえます。僕が思うに、この小学校で授業を受けたことは基礎学力をつける上で大きなプラス要素でした。
女子5人、男子6人(のちに男女が1人ずつ転校)だったので男女のバランスも非常によかったと思います。クラス替え、という概念は存在しなかったので、6年間ずっと顔を合わせてました。

僕はまあ、背が小さいキャラです。(笑)とにかく落ち着かなくてよくしゃべるうるさいガキでした。今もあまり変わってないかもしれません。
背が小さいキャラって言いましたが、簡単に言うと「いじられ、少しエスカレートするといじめられる」立ち位置です。泣くこともちょいちょいありました。この立ち位置割と苦労するんじゃないかと思います。他を知らないので完全に自己中心的なものの見方をしていますが・・・

学校の話もさらにしたいんですが、プライベートと並行して語りたいし、話を一度変えます。
このパートは早めに触れたかったんです。長いけど

・習い事に通い詰めたことの功罪

小学生のころから積極的に習い事をやっていました。
具体的には、水泳・そろばん、空手、ミニバスケットですね。

水泳は確か小3~小4くらいまでだったと思います。少し曖昧ですし、自分からやりたいといったのか、親がやらせたがったのかは覚えていません。ですが、個人的にはなかなかに好きな習い事でした。
年の割に泳ぎの素質があったのか、Eコースという選手育成コース(こちらはYコースと呼ばれていました)の一歩手前のコースに小3くらいで入りました。コース内で最年少、さらにその年の水準で見ても体は凄く小さかったので、スポーツは基本的に苦労してます(これは人生を通してです。今後の振り返りにも大きく影響します。身体的特徴というものは、人生を大きく左右していると思いますね。)

コーチがすごく厳しくて・・・最初泣きまくってましたよ(笑)
でも厳しいだけじゃなくきちんとコミュニケーションを良くとってくれる人だったと思います。
でなければ、こんなに良い印象を持ってはいないでしょう。持っていない話が数年後に出てきます。
印象に残っているのは初めて「25mをノーブレで泳げ!」と言われたときの話です。ノーブレっていうのは、ノーブレス、つまり息継ぎなしで泳げってことですね。

初めていわれたとき、「無理だ」と言われました。案の定、12.5mしか泳げませんでした。
体も肺も小さかったうえに、僕は当時からメンタルの弱い人間だったんだと思います。詰められて一番泣きましたね。

ビート番でバタ足50m×10本が最初のメニューで、あとは結構日によって変わりましたが、普通のコースに比べて泳ぐ量も一段と多かったと思います。

小4くらいに、ミニバスをやらされることになり、水泳をやめないといけなくなった時は凄く残念でしたね。そのころには色々と板についてきて、これからだ、という所だったので。いや、もしかしたら当時はそんなこと思ってなかったかもしれませんが、でも今振り返るとそんな感触がするので、水泳は自分にとって良い経験でしたね。


よし次、そろばんの話をしましょう。
そろばんは小2くらいの時(少し曖昧ですが、小3よりは前です)から中1です。
一番長い習い事で、時間的な量でも、経験の質においても一番自分の人生に決定的な影響があったはずです。

最初に興味を持ったのは幼稚園の頃だったかと思います。幼稚園の近くにある個人経営のそろばん塾に通っていました。村井先生という、おばさまが先生をしていました。最初に入塾したいと伝えたときは「まだ少し早すぎるから小学生になってから、」という話をされ、小2くらいまで待ちました。

村井先生は大変優秀な指導者でした。今、僕も教育の仕事をしていますが、僕に最初に学校以外で本格的な教育を施してくださったのはこの方だったんですね。大変ありがたいことだったんだと今でははっきりわかるレベルで、しっかりとした指導、フィードバックを受けながら週に3回、月曜と水曜と土曜に1時間くらいの指導を受けてました。これで月謝3000円なんですよ。おかしい・・・あと8倍は出しても価値が釣り合ってます。当時は分からなかったんですが、今ではわかります。

そろばんをやっていたことが僕の人生にどのような影響を与えているのか、今の僕が振り返ると分かるのは2つです。
1つは、僕の基礎学力を飛躍的に高めたこと。東大合格の基礎になってることは明確です。
計算をしている時、いまだに僕の脳内はそろばんです。数学は一番の苦手科目だったんですが、それは計算ではなく、解法パターンの理解と定着が足りなかったんですね。計算力が強く試されるセンター試験ではしっかり9割台を出していましたし、計算力の観点で苦労を感じたことが一切ないのは間違いなくそろばんの経験が大きいです。ただ、計算が僕より早い受験生はたくさんいました。それは計算するときに僕が簡単な場合でもいちいちそろばんイメージしてるからですね。早い子はほとんどの四則計算に対して答えをほぼ覚えてるでしょう。

もう1つは、僕に勉強という道をそれとなく示唆したことです。スポーツではない習い事をこの時期(=多くの場合、小学生はこんな時期に塾には通いませんから)にやっていたという経験が僕にその後、学習でキャリアを積んでいくにあたり遠因的なきっかけとして影響していたんじゃないかと思います。スポーツで挫折の経験を積み続けた僕にとって、そろばんで結局初段までいったことは大きな励みになってます。もちろんスランプなんかもあったんですが、概ね一番納得のいくパフォーマンスを残して終わりにした分野なんです。上には上がいますが、それでもです。

そろばん塾には同じ年の友達も少し年上の生徒さんもいました、みんなそこそこ仲良かったですね~
同じ級に挑戦する1つ年上の先輩によく絡んでました。お兄ちゃんみたいなね
他の習い事でも一緒のやつもいたし、その数年後に中学で一緒になる子も数人いました。まあ地域が狭いので必然的に中学で会うのが基本なんですが(笑)

さて、次は空手ですかね。個人的には最も苦い思い出の習い事です。

齋藤塾、という市内の空手道場です。
はっきりしてるのは、僕が向いてなかったということですね。それでも2年くらいはやってます。

あと副館長(館長の奥さん)がおそらく根性論の持ち主で、やめるときとかすごいなんか言われてとにかく泣きました。
やめた理由はモチベーションの低下です。1級までいきましたが、昇給審査は僕の場合、型みたいな個人パフォーマンスで得点を稼いでたんですね。組手は案の定、めちゃくちゃ弱かったので、それしか道がありませんでした。当時から僕の側にも「背が低くて不利だしやりたくない」という自覚と諦念はありました。その代り、相手が実在しない型や普段のフォームには意識してました。柔軟性が低くて足全然開かなかったんですけど、その割にはしっかりできて、型試合で上の級の人に勝ったりとかもしてましたね。僕は自分の中で完結しているもののほうが向いているんだと思います。うわ

段に上がるには、組手も勝てないといけなかったんですね。これが僕がやめる一番の原因です。
もう無理だと、はっきりと感じていました。親はやめさせたくなかったみたいですが、当時は習い事のはしごでハードな生活もしていたのでとにかく嫌でした。普通の小学生じゃなかったですね明らか。あー訴訟


最後にミニバスの話。
親が中学の教員でバスケ部の顧問だったんです。話はそれがすべてと言っていいんだと思います。
口利きをして、『背が伸びる』スポーツだからと僕をたきつけました。僕は水泳をやめさせられ、こっちに入ります。

身長の伸びは小6で衰えます。小4と小5は10cm伸びました。これはミニバスのおかげなのかそうでないのかは、分からないでしょう(笑)
ミニバスのチームは、地元から離れたところ、地元の学区とは全然違う小学校でたくさんの小学生が通う小学校の学区でしたから、未知の所にぽーーーんと1人飛ばされました。心細かったなぁ
親のコネがあっただけです。当の本人に相手をしてもらったことってホントに数えるほどしかないんじゃないかなぁ。教員ってくそ忙しいんです。俺は絶対にやりたくない。まあ子供も持たないでしょうから関係はないんですが
もうお決まりの展開なんですが、バスケをチビがやったところで所詮不利なんです。背を伸ばすためにバスケをやるなんて愚かにもほどがあるんですね。バカの所業
経験を積んだので多少動き方とかの知識はつきましたが、技術はダメダメです。体力は少しついたかな、この頃には。ほんと体格で不利だから体力つけるくらいしか対抗措置がないんですよ。



中学の話は後でもしますが、周囲の大人は何かと僕に、「身長が高いやつこそがやるべき戦い方を、なぜか背の低い僕に押し付ける」ということをしてきました。僕はいやいやそれをやってきましたが、結果として得られたのは「俺はスポーツが全般的にダメだ」という劣等感が大きいです。楽しむことも忘れてしまいました。今では全くしてません。その素地を作ったのが、空手と、ミニバスだったんですね。水泳に関してはそれを抱かずに終わることができましたが、ミニバスをやってたころあたりから、特に自分の身長に対するコンプレックスによってスポーツに対する苦手意識が高まっていきます。それが中学に繋がるわけなんですね。


習い事の話はこれくらいにして今日もこれでお開きにしましょう。
次は、小学校のもう少し深い話をしましょうか。狂言の話もしていきたいし。僕のコンプレックスの話ではなくて、対人関係の様子について書き綴っておくのが次のパートの役目になるでしょう。
小学校までは、あくまで僕の遠因的な基礎の話。本番はそのあとからだ
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人生を振り返る① 幼少期の話 [昔の話]


はい、テーマものの記事です。早速始めましょう(前振りはなし)

・生まれてから5歳くらいまでの話

そんなに記憶はないです。(笑)
生まれてから最初の記憶は自分がベビーベッドで目覚めた時の光景です。今でも覚えてはいますが正確にそれがいつだったのかまでは覚えていません。恐らく2~3歳にみた一瞬の光景だったのではないかと思います。

1つ親から聞かされていたのは、僕は生まれてからしばらく、全然話さない子供だったみたいです。
今ではどちらかというとうるさい方なのに、最初は全く逆だったらしいですね。
あまりにも話さない僕を心配され、児童相談所に連れていかれた結果、
何の拍子にか僕は突然しゃべりまくるようになったということです。←

アリアリアーとか叫んでいて
昔から変な言動が目立ちましたが、漢字の読みは幼稚園年長あたりまでに割と身につけ始めていた記憶があります。(身近な地名は少し読めました)

あと、体が小さいことはこの頃からしばらくずっと一番のコンプレックスでした。
今でもそうですが、今は昔ほどは気にしていません。
まあ昔は「チビ!」「チビ!」としか言われませんよ。(その点、東大生だったり頭おかしいっていう属性がはっきり付与されたことにより緩和された感はありますが)
幼稚園は地元の幼稚園です。実名を挙げても大丈夫だと思うので、山王幼稚園と言うところです。
その後中学で同学年になる子たちもたくさん通っていたので、幼稚園時代というのは案外バカにならない重要性を持っていますね。
あ、スポーツチャンバラとかやらされました。僕は弱かったです。あたりまえ体操
バスで送り迎えされていたと思います。当時は幼稚園で働く人の苦労なんて全く分からなかったなぁ。

とまぁ、このくらいかな、思い出して気が向いたら追記していきます。


あと実名は許されそうな範囲でガンガンぶっちゃけていきます。個人名はイニシャルかな。

よし最初だし今日はここまで、次からはきっと長い。たくさん語らないと。
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今日の買い物 [毎日のこと]


どうも、仕事が17:30に終わるとそのあとの過ごし方がめっちゃだらだらできるね。というかしてしまった。今更WWAなんて古臭いゲームが懐かしすぎたのが悪い(笑)

Bluetoothイヤホンとスマホのタッチペンを買ってみた。
タッチペンは感度が微妙な気がする。安いやつだからダメなのかな?
今度は一番高いやつ買ってみよう。
イヤホンは何かに使えそうなので買いました。自分から長電話するときには楽そう、これはよい買い物だと思います。使わないで終わりそうだけど、存在を認知しただけ成長。

気が向いたら自分の昔語りでもしますかね。過去編という奴ですよ。wwwwww
自分の生きた証をね、生きているうちに残しとかないとね。
ついでに読んだ人が反面教師にでもしてくれればいいですよ。笑

日記書いていると丁寧語とタメ語がよく混在した文章になるんですが、それはあえて直してないこの頃。丁寧語はどちらかというと読み手に向けてるし、タメ語は自分の独り言みたいになってる感じでやってますね。

ここでの内容は好き勝手だし、価値を感じる人は勝手に感じてくれればいいかな。
ほんとに価値ある日記にするなら「賢く生きる方法!日本社会は崩壊する!」とかいう胡散臭いタイトルで自己啓発でも呼びかけます(笑)
あ、でももし書いてほしい内容があったら・・・いやそんなものないか勝手にコメントしてくれればいいんですよ。じゃあ今日はおしまい。
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アイデンティティの話 [考え方]

まずは、特に前振りもなくレポートを貼っておきましょう。
東京大学 教育学部で開講していた 社会教育論Ⅱ 担当は牧野先生だった気がします。間違ってたらごめんなさい。とにかく良い話をしてくれた先生だったことは覚えてます。

2014 教育学部 
社会教育論Ⅱ 期末レポート

テーマ:日本社会の構造的変容がもたらした「人格」「自我」の様相について述べ、その個人にとっての意味を論じなさい。

1.日本社会の構造的変容について
 日本社会の構造的変容は経済状況の変化によって訪れた。朝鮮戦争による特需景気から始まる高度経済成長を通して、拡大再生産・市場の拡大を繰り返し続けてきた日本だが、1973年にはオイルショックを迎え、きつい働き方で何とか経済成長率を維持する「安定成長期」になり、1980年頃から経済状況が変化を見せ始めた。これまで拡大し続けてきた市場が飽和し始め、均質画一平等という形で大量消費を促す形式は通用しなくなってきた。この背景としては少子高齢化がある。つまり、子供が減って新しい家庭が生まれなくなってくる一方で、すでにものを持ってしまっている高齢者が増えたことが影響している。家電などの市場はこうした人口変化を受けて、「一家に一台」という従来の販売戦略を「一人に一台」という形に転換し、市場の細分化=パーソナル化を図った。市場のセグメント化により、市場に商品を供給する産業においても、「重圧長大」から「軽薄短小」という変化が起き、少品種大量生産から多品種少量生産へと転換した。

2.社会の変化に伴う「人格」「自我」の様相
 前述したような変化をうけ、社会において個性がしきりに叫ばれるようになる。学校においてしきりに個性が強調されるようになり、のちのゆとり教育に繋がるが、これは学校の本来の目的に対する挑戦であった。本来、学校は近代社会において作られたパノプティコンの1つとしての機関であり、子供たちに社会における規範を内面化させる役目があった。つまり学校は社会における規範を子供たちに植え付けて「画一化」させるところであったはずなのに、そこに「個性という多様性」への変更が求められたのである。
 学校や社会のいろんな場で「私らしい私になりなさい」ということが言われ、それまでは内面化された規範によって「みんなと同じ私」という形で確立されていたアイデンティティは、「みんなと違うこと」によって確立されるものに変わった。こうしたアイデンティティのあり方の変化は、社会における価値のあり方にも表れていた。それまでは時間をかけて成長したものに価値が見出されるのが主であったが、「みんなと違うこと」=差異に価値が見出されるようになり、価値はより即時性を帯びることとなった。さらに人格が価値と結びつけられ、キャラとしていじられるようになった。
 人格や個性における意味や価値は基本的に自己責任で見出すものであり、それは子供であっても例外なく適用された。1980年ごろからは「私さがし」に見られるような、「意味にすがる」という現象が多く見られるようになった。その際、内面化される規範が希薄になっていったので、外面化された規範に従いつつ、自分の意味や価値=差異を他者との関係性の中で見出すことになった。その結果、『横目で他者を見つつ、全員が「そこそこ」になる』社会が生まれ、個性を求めようとした結果、個性が見つけにくい社会が出来上がるという逆説的な状況となった。
また、差異を見出す=自分に意味づけをするという行為は、基本的に言葉によって行われる。この言葉というものは、①他者からの借り物であり、②にもかかわらず実際に言ってみないと意味が確定しない、というものであり、この2つの性質を持つ言葉で構成される意味は、差異によって生み出され、後からしか分からず、交換も可能で確定もしないという不安定なものにしかならない。結果として際限のない自己への意味づけが繰り返されることになった。
 本来の近代社会、つまり高度経済成長期は、こうした言葉による自己への意味づけが必要なかった。人々は勤労という価値観によって自己が時間と空間を占めている感覚を持ち得ていた。現在、そうした身体性を保証していた勤労という価値観は否定されてきている。雇用形態・ビジネスモデルが多様化する中で、時給システム=労働者の労働力に価値を見出すシステムに基づいて金銭を手に入れることなく、「価値を提供する人こそ金銭を手に入れる」という考えを持つ人も現れ、不労所得という用語が人々の夢として語られるようにもなってきている。こういった労働のあり方が変わったことも自己の曖昧化、そしてそれによる自己の意味づけに対する欲求に影響している。
 自己にとらわれ、それを意味づける言葉に囚われることは、言葉の物神化に繋がった。言葉が身体に優越し、身体の暗黙知などは軽視される中で、人々は他者からの言葉に容易に影響を受けるようになった。一方で自分も他者に一方的に言葉を浴びせ続けるようになり、返答のない「自己語り」をするようになった。

3.個人にとっての、「人格」や「自我」の意味
 2.では社会の変化に伴って「人格」や「自我」が他者との関係性の中で、後から言葉によって生み出されるようになったこと、そうして言葉が優位な社会になることで「自己語り」をするようになったことを、その他の話を合わせて記した。では、そうした「人格」や「自我」といったアイデンティティのあり方、自己を語るようになったことは個人にとってどのような意味になるのか、そしてどうすればそうした苦しい状況に救いのようなものを見出せるか、思うところを自分の人生体験を元に記していく。
 私が「自分とは一体なんなのか」と問うようになったのは中学2年の時である。当時は卓球部に所属していたが、外部からOBのコーチを呼び、3年生が夏初めに引退してから、関東大会出場を目指して平日は厳しい練習、休日は遠征して他校との練習試合を繰り返した。試合に勝てなかった私はコーチやチームメイトから日々存在を否定するような言葉を投げかけられ、ノイローゼになり、自殺未遂までした。最後に自殺未遂を図って失敗したとき、そこですべてが吹っ切れて結局引退まで部活を続けることになったのだが、それ以来、私は日々起きたいろいろな出来事を記憶し、あるいは記録し、それが自分にとってどのような意味だったのか、自分はそれでどう変わったのか自問自答を繰り返すようになった。他者にその経験自体を話すこともあったが、それはごく少数しかなく、基本的には毎日、自分一人で自分の過去を何度も再構成して再解釈している。他者に対しては、そうして再解釈してできた自分の考えのみを、直接話したり、あるいはその考えに則って発言をすることで間接的に語ったりしていることが圧倒的に多い。
 私が常日頃やっていることは、自己の経験、それも今の自己を形作る上で重要な影響を与えている特別な経験であり、自己そのものとも言える経験に対する、言葉による意味づけに他ならないと思われる。頭の中での言葉、人との会話の中での言葉、あるいは携帯で打ち込む文字など、それは様々な手段を取りつつも所詮は言葉による意味づけであり、前述したとおり、それは常に交換可能で確定せず、記憶を解釈するたびに与えられる意味も変わってきた。そうして作られた「私」は時間とともに変容する極めて不安定なものだという見方は確かにできるが、私の中では「変化は進化」という考えがあったおかげで、そういったあり方を肯定的に受け取ることができていた。変化する自分も含めてそれは1つの自分だという見方があった。
 私の体験がどこまで一般的なものかは分からないが、自らの体験を拡張して考えるなら、アイデンティティが身体性や内面化された規範など、画一化という文脈の中で与えられるものから、他者の関係性の中で言葉によって与えられるものに変わった現在では、個人にとってアイデンティティは「変わり続けるもの」として存在するようになったではないかと私は考える。
しかもそれは、私のように、時間と、言葉の不確定性によって再解釈を繰り返すことで変わるだけではないはずだ。私の場合はひたすら「独り言」のような形で、つまり、「自分の過去の体験 対 それぞれの時間軸の私」の関係でアイデンティティを作り出していた。これは今言ったような社会的文脈とは対照的な私個人の独自性を表す部分だと思われる。全体的には、アイデンティテイは「他者との関係性」の中で言葉によって生み出されるのであり、この「他者」によってもアイデンティティは変わっていくと私は考える。他者との関係性で生み出されるようになったアイデンティティは、関係を作る他者が変われば変わる。私たちは基本的に、常にいくつものコミュニティに同時に所属しているから、メンバーがそれぞれ異なるコミュニティの構成によって常にいくつものアイデンティティを持っているし、そのいくつものアイデンティティも、各コミュニティで人の出入りがあれば少しずつ影響を受け、変わっていく。現代における「人格」や「自我」といったアイデンティティと呼べるものの、個人にとっての意味は、それが「他者」と「言葉」によって常に並行して変わり続けるものになったということだと私は考える。
 また、アイデンティティに対して、「それが言葉によって与えられるものであるが故に、作り上げた瞬間常に自分のものでなくなってしまう」という矛盾は、そうして言葉で作り上げられた「完成品」がアイデンティティだという発想を前提にしている。だが私がここで提案したいのは、問いかけたいのは、「アイデンティティを何度も言葉で作り上げていくその過程」そのものをアイデンティティとして見ることはできないのかということだ。私の場合は、自分の体験・選択、そしてその瞬間に思ったことすべてを復習し、再解釈していくことはすでに習慣となり、それをすること自体が私を作り上げてきたと感じられる。つまりアイデンティティを模索することを自己目的化してそこに積極的な意義を見出せないかどうかということだ。かけてきた時間だけでなく、「自分とは何か」という意味を見つけ出すために自分が経てきたそのプロセスは、主観的なものであり、他者のそれとは質的に決定的に異なるものになると私は考える。だからそのプロセス自体をアイデンティティとすれば、それは常に「他者」と「言葉」によって変わり続け、しかも時間的に積み重なっていきながら代わりのない自分固有のアイデンティティを手にすることができるのではないかと思う。言葉が優位になり、常に自分のあり方を問い続けなければならない状況を変えることは難しいと思われる。つまり「私とは何なのか」という問い自体は常に自らに付きまとってしまうものだと私は考える。しかし、それがこの発想のもとでは、「他者に自我が埋没してしまう恐怖を表した問い」ではなく「他者との差異は自覚した上で発される、単純に今の自分を見つけ出すための探索的かつ好奇心に基づくような問い」にならないだろうか。「私とは何なのか」を考えているその瞬間に、もう自分のアイデンティティは作られていると言ってしまえば、話はすごく簡単なように私は感じている。
 自己語りをしてしまう、せざるを得ないといった状況に対しても、同じ方向からのアプローチを考える。つまり、自分が語った経験、あるいは他者から語られた経験と他者の言葉によって受けた影響をプロセスとしてすべて自分のアイデンティティとして取り込んで行くことはできないかということだ。「あの日、あの人に言われたことが私の今の~な性格を作り出しているのだ。」というような気づきや解釈は、往々にしてその後で「いや、やっぱり違うかな」と再び自分に解釈を求める。そうしたらそこでまたじっくりと考え、ひとまず「今日の答え」を出す。その「今日の答え」を作って積み重ねていくプロセス自体がもうアイデンティティになっているという視点を持つことができれば、今の自分を見失うことなく「今ここで」の生き方で毎日を一歩ずつ確実に進んで行けると私は考えている。もちろん、こういったスタンスは問題もあるだろう。「今ここで」の解釈しか与えないこのやり方はまさにその場しのぎといった感じであり、将来の自分に対する見通しは全く立たなくて不安を覚えるかもしれない。だが「今この瞬間」さえ自己への意味づけに苦しんでいるよりかはずっとましだと思うし、最初の話に戻るようだが、市場が縮小し続け希望が見えない下り坂の社会を思うくらいなら「今この瞬間」を全力で楽しみ続ける刹那主義的なあり方のほうが幸せでないかと、この先社会を担うものとしては好ましくないかもしれないが、そう思ってもいる。                         


終わり。さりげなく軽くない僕の昔話も入ってますが。
「アイデンティティが無い」なんて歌の歌詞にも出てくるし、僕もよく「俺って何なんだ」ってなってるし毎日のように自分の無価値観を感じてますよ。東大に受かったところで結局自分は無力だし、たくさんのことができないままです。でもまぁ、そんな自分をどんな形であれ振り返り続けていたら、振り返った時の解釈やらひょっとすると行為自体がアイデンティティと化してしまっあていた。こうして自分の中の妄想ともいえるような思考に浸ることが何よりも僕の独自性を裏付けてしまった。みたいな話です。世界で全く同じ文章が書けるやつは一人もいないでしょう。この文章も著作権あるんじゃないですかね。そう考えたら、自己評価はさておき「ああ俺は確かに自分なんだ」という点は余裕でクリアできてる。そっから先がダメなのが僕ですが、それ以前で自分を喪失してしまうことはあるときから一度もないことだけは評価に値すると思ってます。まあでも、みんななんだかんだすごいから「自分って何なんだろ」なんて悩みは抱えたことないか。とも勘ぐってます。知らないからその辺はブラックボックス。

就活では「自己分析しよう!」とか言いますが、僕に言わせれば「そんなんいつもやってるわ」とも返せるし「んなもんしたって無駄だわ」とも返せます。心の中ではそう返してます。どれだけしたって確定はしない無限のプロセスをある一定時点でイベントのようにやったって、分析結果はソースとしては頼りないものでしかないでしょ。ってね。2つの発言はどちらも僕という1つの立場からの主張ですが。

はあ、今日はここまで。ブログを書いて金を稼いでる人はすごいよね。
ネットビジネスに興味はあるしよく調べてますが僕が最後の最後で行動に移さないのは、その働き方に対してどこか満たされない要素を持っているからだと今日改めて思わされてしまいましたよ。表面的な理由は大体めんどくさいですが本当に死にそうだったらそれは言い訳にはならないし、やろうと思えば実行に移せる行動さえやらないのはもっと根の深い価値観が邪魔をしているからですね完全に。廃人したいし時間も無限に欲しいくせに、僕は自分に適性が最もある仕事でしかも何らかの形で微妙な身体性と高い収益を両立させたいみたいです。傲慢ですね~死ねばいいのに俺(笑)

ここまでとか言ったのにおまけ長すぎた。おしまい。次も気が向いたとき。己の生きざまを残すため
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生存報告 3/3 [毎日のこと]

生きてます。とりあえず生きてます。

書いてた記事が途中で消えちゃったのでやる気0です。

ハンコが押せないことをネタにして書いてる途中でした(笑)

就活はまたしません、もう新卒じゃないので普通の就活はできないはずです。合説とかも参加できないよね?知らないけど

あ、これだけかいとこ。
姉もフリーターしてるんですが、姉弟そろってフリーターなのはどう考えても親の教育に決定的な問題があったんだと思います。
アーメン


意味はないし、5000字も読む人いないと思いますが、昔に書いたレポートをアップしておきます。ただの自己満ですw ただ、僕という人間が何を考えているか少しは分かるでしょう。
今さっき読み返したけど、俺こんな文章かけたんだって感じですね。教授に優上を頂いたレポートだけあってそこそこ書いた感が伝わります。若干論旨が不明瞭な部分もあるけど、まあ自分の思いを再確認して再認識して再解釈するにはちょうど良いくらいの品物だった。
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